近況の溜まり場

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感情奉行

~毛穴のケアなのだ~

 

このブログの名前の由来なんですが、略すとキンタマになるからです。

どうかキンタマとお呼びください。

 

どうも、新居です。

 

今回のテーマは「基準」です。

私の持論のお話になります。高校の時に気付きました。

 

「人が世の中の様々なものに対して抱く感情は、その人の基準しだい」という。

まぁ当たり前っちゃ当たり前の話ではあるんですが。結構いろいろ応用がききますよ。

 

毎日夜遅くまで残業などして心身ともに疲れ果てている生活は、標準的な生活をしてきた人にはつらいものです。

しかし、紛争地帯で日々命の危険にさらされながら逃げまどい、ろくに眠れず、時には他人を殺めることもあるような生活をしてきた人にとっては幸せを感じる生活かもしれません。

また、女性に話しかけられた時の嬉しさはモテるやつよりモテないやつのほうが上です。

これらは、起きた事象と各々の基準との距離が異なるゆえのことです。

生きるか死ぬかの生活が標準になっている人が、心身ともに苦しい生活であっても身の安全が確保された時点で幸せを感じること。

女性とほとんど話すことがないのが標準になっている人が、たとえモテる人にとっては平凡でつまらない話であったとしても、女性と話すことに幸せを感じること。

 

その人のベース、基準、標準と、言い方は何でもいいんですが、物事にどんな感情を抱くかは各々の基準次第なんだろうな、という考えです。

己の内の基準と外部の刺激との差が感情をもたらすということにふと気づいた僕は、己の基準を動かすということに挑戦しています。

つらいことがあったとき、過去のつらい出来事や時期を思い出して「あの時よりマシ」や楽しいことを思い出して「あれがある(あった)から全然プラス、むしろこれくらいのバチで済んでよかった」とか思ったり。

楽しいことをするとき、普段のあんまり楽しくない生活やよくわからない仕事をしているときのことを思い出し、そこと比べて「チョー楽しい!」ってやったり。皆さんも休日の二度寝をするときの感情には覚えがあるかと。

 

 

とはいえ、こんなものははりぼての基準です。長い時間かけてじっくり形成されてきた価値観や基準はそう簡単には変えられません。ネガティブな人間が急にポジティブにはなれませんね。また、「ここ最近」の暮らしぶりで形成される基準も侮れず、物事に対して一番最初に感じる率直な感情は「ここ最近」の基準をもとにもたらされると思っています。

ここ最近、なんだかついてないなんて時はつらいことにも慣れちゃって、つらい時期の一つ一つの出来事のつらさはハッピーライフ中のつらいことに比べて軽くなると思います(それでもつらいこと全体のつらさが重くのしかかってくるのでやっぱりつらいんですが)。

日頃グラウンド走らされてるときに雨が降るのとバーベキューやってるときに雨が降るのではバーベキューの時の雨のほうが泣きたくなりません?

 

もう一つ、当たり前の補足として「自分の基準しか操作できない」ことがあげられます。そりゃそうですよね。自分が面白いと思ったものを他人が面白いと思う保証はないです。そしてそれを面白がらせるようにするのもまぁ不可能です。「なんで笑わねーんだよ。面白がれよ」なんて言うやつ最悪です。なんだ?お前の自信はどっから出てくるんだ?おじさんそういうの嫌いだなぁ。

 

んで、これらを踏まえて私個人の話になるんですが、最近あんまりおもしろいことが無くってですね。

正確には面白いことのアウトプットなんですが。

そんな私が今回こんなテーマで書きました。面白いわけなくないですか?

僕の中の面白いものの基準が低くなっているわけですから。

いや、まぁ、今回は別に笑わせようとかそういうテーマでも書き方でもないんですけれど、普段枯れた生活してる僕がこれでいいだろって書いたものを他人が面白がるとは思えないんですね。

 

満ち足りた生活をしている人が面白がる基準はもっと上にあるでしょ。

逆に言えば、このブログをつまらないって思う人は自分の基準に自信もっていいです。満ち足りてます。

 

 

どうかその満ち足りた立派なものさしだけが世界の基準だと思わないように、とだけ。

それでは。