~1人とX匹暮らし~
神は乗り越えられる試練しか与えないって言いますけど、
乗り越えられるられないに関わらず試練とか与えなくて結構なんですけどね。
その理屈で言うなら試練乗り越えられない人のほうが生き易いの不公平なのでは?
どうも、新居です。
いい天気な日はより一層部屋の中が暗く見えます。
今回はテーマがどうだってよりはいろいろ書きなぐりたいと思います。言いたいことが定まってないってことだね。お恥ずかしい。いやいや、ブログって本来そんなもん。
社会に出て一年、いろいろありました。ただでさえ浮き沈みの激しい性質を周りに出さないようにするタイプの人間なので、まぁきついですね。電車の中でゲ○とかゲ○が出そうなのをなんとか目的の駅まで我慢する感覚に似ています。生きづらいのセルフサービス。
働くうえでいままでなんとなく生きてきた部分を容赦なく修正されていってまして、自分は思ったより社会適合者じゃなかった!ってダメージ食らってます。いままで身に付けてきた処世術が通用しねえ!なんだこいつら!?ですね。
例えば、怒られるときは相手の怒りがおさまるのを待つか相手が望む言葉を言えば終わるもんだと思ってきたので相手が怒りモードに入った瞬間思考を放棄してきたんですけど、「なんでこんなことになったのか」とか聞いてきますよね。
何も考えてないからに決まってるでしょうが!言えるか!
「なんで何も考えなかったのか」
言っちゃってた!んでまたそれか!うるせぇ!
こっちはもう指導を受けるときに思考を放棄するシステムができちゃってるんですよね。「僕にいくら言っても無駄ですよ」とか言いたい!
「僕がこうなったのは成長期に理不尽に怒りまくったあの人のせいです」とかも言いたい!人のせいにしたい!
まぁ、それをしないからこその生きづらさなんですけど。
そんなこんなで社会にもまれながら生きちゃいるんですが、社会人らしくいることのなんと難しいことか。いままでかぶってきた優等生の皮は社会人には役に立たないようです。心が痛くなることもあり、んん~これが成長痛!などと思いながら毎日稼ぎに行ってるんですけど、「これホントに必要な痛みか?」って思うこともあります。成長痛なんだろうけど尻尾とか生えようとしてんじゃねぇだろうな?いらんぞ?
とはいえ、川の上流ではあんなに角ばってた石も下流に行く頃には丸く、なめらかに、美しくなります。似たようなもので、人間も社会にまみれるうちに角が取れて、丸くなっていくんでしょう。・・・それに別に魅力を感じないのはさておき。
ものすっごくドロップアウトしそうな奴の文章になりましたが、多分そんな勇気もないです。人間だれしも通る社会への愚痴モードをこの場を借りてやってみた感じです。僕のことなんでドロップアウトするなら誰かしらを道連れにするでしょうね。社会にまみれたくない!って人は一声おかけください。一緒に社会から逸脱した道の話をしましょう。多分楽しいですけど、やっぱやめとくか・・・ってなるんじゃないかな。
上流の石は誰からも見られないし、みんなのところに行くなら結局川の流れに乗っていくしかないですからね。何この例え。
とりあえずはみなさま心と体はお大事に。それでは。