近況の溜まり場

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夢か現か

電車の中がそこそこ混んでいるとき、邪魔にならないようにリュックを前に抱えます。降りる駅に着き、リュックを前にしたまま階段を下りると足元が全然見えなくて。

爆乳の人って大変だなって思いました。

 

どうも、新居です。

今回は私の人格形成、ひいては私の人生に大きく影響を与えた中学時代の部活の顧問の話をします。今でも思い返すことも多く、いつかは書きたいって思ってました。満を持して書くにあたって、はじめにお伝えしますが、今日の私はちょっと口が悪いかもです。

 

顧問を短い言葉で表現するのは難しいのですが、整理整頓やルール厳守をはじめ、細かいことまで徹底していた堅物でした。各々のエナメルバッグを置く向きであるとか、脱いだ上着を畳むのはもちろんその向きも揃えることも徹底され、校則を含むありとあらゆる些細なルールを少しでも破れば即坊主&奉仕活動(に追い込む圧力をかける)というような人間でした。だんだんエスカレートしていき、何かしら生徒間同士での揉め事(よくある「先生に言いつけるぞ」レベルの小競り合い)や宿題を忘れるといったいかなる素行不良にも処罰されるようになり、我々は常に窮屈な思いをしながら学校生活を送っていました。

そこから、顧問の基準、さじ加減で罰が与えられるようになり、元々厳しめの校則の中で許されている髪型でさえも顧問が気に食わなければ色気づいているなどと適当な理由をつけて見せしめにされたり槍玉に挙げられたり。特に彼女がいる部員を目の敵にしていて、本人は独身でそりゃあモテないよなっていう性格もしてるので私怨で怒ってるな、というのは当時から気づいてはいたんですが、口ごたえなどしようものなら話が大きくなり周囲に迷惑をかけめんどくさく厄介なことになって時間も労力も浪費するだけなので、みんな何言われても早く嵐が過ぎ去るのを待って適当に相槌打ってやりすごしてました。

今ならパワハラで一発アウトなんですが、次第に暴力や暴言も増え(このへん詳しく書くとすごい量になるので割愛)、我々はもはや何をやっても怒られるので最大限怒られないように日々を過ごすのが常態化し、私が3年生に進級するタイミングで顧問が異動になるまで部活はもちろん学校生活も全然楽しめなかったです。周りの先生も事なかれ主義、かつ部員以外に対しては顧問は人当たりは悪くなかったっぽいので野放しにされていたようです。ほかの先生達からしても関与したらめんどくさい奴だとわかってたんですかね?定かではありませんが、、、こいつほっとくのもどうかと思うけど。

 

割と純粋な年頃でこんな顧問を相手していると、自分が悪い、ダメな人間だと思うようになり、自己肯定感をなくし、自信がなくなり、必要以上に繊細になり、多大なストレスで病気にもなり、、、と全くいいことがなくてですね。一時期は部活の日は玄関から外に出られなくなってました。今思えばだいぶ精神的にきてましたね。

 

こんな感じで私の人格形成に大きな影響を与えた人間がおります。時間をかけて、自分の語彙力を絞り出して色々なことを詳細に書いて鬱憤を晴らしたい気持ちはやまやまなのですが、正直思い返すのも嫌なんです。そいつに関してはもはや会うこともなく、情報が入ってくることもなくで忌まわしい記憶だけが私の中に残り続けたまま生きていくしかないのは覚悟しております。あいつになにか不幸なことが起きないかな、、、と常々思ってはいるのですが、起こったところで知る由もなく、本人に直接鬱憤を晴らすことはできないので心に刻まれた呪いのような負の感情を抱えながらこれからも生きるしかないんだろうな、と思ってます。

 

 

そう思ってました。

 

 

そいつ、最近児童買春で逮捕されましてね。

 

 

かつてないカタルシスを味わってます。

いやー、生きててよかったほんと。ずっと願っていた不幸がなんと現実のものになったのでまだ信じられなくて。夢じゃないかって思ってますが、何回グーグル検索しても相変わらず捕まってるので、ほくそ笑んでます。

 

自業自得、因果応報。結局そういう人間だった。中学時代だって、こちらが譲歩する必要なんてなかった。ようやく呪縛から解き放たれて、天に昇るような気持ちです。

 

未成年に手を出してはダメだぞ、という顧問からの最後の教えを胸に、また明日も私は塀の外で幸せに生きていきます。ば~か。

それでは。