~アイデアとうんこは出し惜しみするな~
胸筋を触らせてほしいと言ってくる女性は、自身の胸を差し出す覚悟はあるのでしょうか。
等価交換は錬金術の基本ですよ。
どうも、新居です。
今回のテーマは「縛りプレイ」です。
当ブログは月一で更新していければいいな、くらいの気持ちでやってます。
ひと月あればブログに書くようなこともなんかあるでしょうし、
時間的にも余裕たっぷりです。
そのはずなんですが、ここ最近、その「ブログに書くようなこと」がいまいち見当たらないんですよね。
ちょっと面白いことや変な思い付きは日常の中でいくつかあるんですけれども、それらを「わざわざ書くほどのことか?」「こんなしょうもないこと書いて何になる?」って思ってしまって結局その些細な小ネタたちは消えていきます。
これ、結論としては別に「書いていい」んですよ。本来ブログは何書こうが自由です。
なんなら消えていくくらいなら書いたほうがマシじゃないかって思います。
確か一番最初にしょうもないことや変なこと、つまらないことも書くと予防線をしっかり張っていた記憶がありますし、そうでなくとも僕が書いた記事ごときで誰かから文句言われる筋合いはないです。人んちのごみ袋あさくっといて文句言うな。
とはいったものの、やっぱり現状みみっちい小ネタだけちょっと書いて終わり、ってことはしていないわけで。今のところそれなりの文章量が続いているかと思います。
本来は何書いてもいいブログを、いつのまにか自分の中で勝手に「ブログにはそれなりの中身がないといけない」というものにしてしまったために、ブログに書くことが見当たらないという現象が起きています。少々本末転倒な感はあります。
こんなふうに、往々にして僕は自分の意思で自分の自由を制限してしまうことがあります。
他にも休日は掃除を終わらせるまで自由時間は無いとか、話したい友人に電話したいけど相手は忙しいんじゃないか、別に電話してまで話すことではないんじゃないかなど思ってやっぱりやめる、とかいろいろあります。
別に自分の好きにしていいんですよ、ほんとは。よっぽどでなければさして迷惑かけることもないですし。
掃除しなかったからといってどうなるわけでもないし、電話をかけたからといってブロックや着信拒否などされないでしょう。僕はみんなに好かれているからね。
吐いた言葉は戻らないので自惚れの十字架を背負いながらこのまま続けていきますが、僕は生活の中で自分で勝手に自分を縛る、いわゆる「縛りプレイ」状態になりがちです。
ゲームなんかで縛りプレイ動画は調べればたくさん出てくるでしょうが、仮にそれをクリアして得られるものは達成感以外には基本的に無いと思うんです。
その達成感が縛りプレイのもたらす恩恵だと考えて話を進めます。
人生単位での縛りプレイでのゲームクリアのタイミングって自分が死ぬときじゃないですか。
死に際で「毎週土曜は掃除を欠かさなかった」達成感、いります?
他にもっと感じるべきことがあると思います。
そう考えた結果、今僕がやってるこの縛りプレイは今すぐに解除するべきものなんじゃないでしょうか?
今すぐ好きな子に電話していいんじゃないですか?
いいんですよ。諸君、湯漬けをかき込み合戦の準備じゃ!
まぁ、いったん話はまとまったので電話するうんぬんはさておき、僕の縛りの根源は元来の性格の「謙虚さ」とか「相手の顔色を伺う」とか、「相手に満足してもらいたい」とかそういうところからきてるんじゃないかと思います。あとは「根っこの真面目さ」とかね。また自分で言うなって母に怒られそうですが、何書いても自由だもの、しょうがない。
そこから生まれた「縛り」は必要ないという結論を述べてきましたが、これは自由に相手の顔色なんかを伺いすぎない振る舞いをする人へのあこがれでもあります。
恐らくそっちの生き方のほうが楽しいですからね。
相手のことを考えつつも、それでいて遠慮をするわけではない、みんなで楽しめるような関係性を作っていけたらいいなと思います。はい、いい話で締め!
ちなみになんですが、縄使うほうの縛りプレイは一回くらいは行ってみたい。
それでは。