近況の溜まり場

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京の生鱈奈良生真名鰹

~チャンスとちん毛は思わぬところに落ちている~

 

どうも、新居です。

 

ついに社会に出ました。

社会の荒波を乗りこなしていく所存です。

カビゴンサイドンでさえ波乗り覚えますからね、俺だって!

 

かかってきた電話の保留音を落語にしたら相手先も急かしてくることなくなるんじゃないかな、なんてことを思いながら仕事している新社会人なんですが、今回は以前から思っていたけど最近再燃した思いを書いていきます。

 

テーマは「マナー」です。

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中学の部活でマナー大臣という役職を仰せつかり、ひたすらシャツを短パンの中に入れさせるという仕事をやってきたこのマナー王がマナーについてもの申します。

 

マナーがより一層重んじられる年頃になってきました。

私の振る舞いが会社全体の評価につながってきます。

なので入社後の研修でマナーをマナばない会社を聞いたことがないくらい我々は社会の入り口としてマナーをマナばなければならないわけですが、「マナーを大事にしすぎて業務の効率がおろそかになっている節があるぞ」って思います。以下マナーを覚えるのがだるい人間の愚痴になります。

自分から挨拶したりだとかノックは3回だとか、ひと手間でできるのはまだいいんですけど、名刺交換だの顧客対応だの、誰がそんなとこ見んねんってマナーや手間のかかる作法が多数存在していて、いちいち気にしてたら本来伝えたかった事や目的を忘れかねないんじゃなかろうかと思っています。

 

マナーってそもそも相手に敬意を伝える方法として存在しているはずです。

だんだんマナーがルールになってきている感が否めません。

定まったマナーにとらわれず、相手に敬意や思いやりが伝えられることをその都度やっていったほうが自然にできると思うのは私だけでしょうか。

 

 

 

まぁ、その敬意を伝えるためのマナーなんですけどね。

 

そうなんですよ、結局、我々は敬意を伝えるうえでマナーを避けて通ることはできません。

大人しくマナーを勉強しろってことですね。

 

 

ここで終われば文の分量的にもちょうどいい終わり方だったんでしょうが、最近これに関連して思ったことがあって、

 

「マナーがしっかりできてれば、心に敬意なんてなくてもいいのでは?」

 

つまりは、めっっっっちゃ嫌いな相手でも、それを悟られることなく刺激を与えることなく敬意あるっぽくできますね。

と同時に、問題ですよね。マナーがしっかりしているとはいえ相手が本当に敬意を持っているのかわからないわけですから。

 

 

元気に挨拶をしてくれてる後輩が自分の悪口をツイートしてるかもしれない。

エレベーターのドアを開けたまま降りるのを待っててくれる人が夜な夜な自分の写真を貼った藁人形に五寸釘を打ち付けているかもしれない。

 

 

 

やっぱマナーないほうがいいんじゃね?  それでは。