~夢の中でも論破された~
火遊び、風俗、水商売。
火、風、水の属性魔法が撃てそう。
どうも、新居です。あっつくなってきましたね。
昨日すごく風が強かったみたいで、物干し竿でハンガーだけになってたやつがありました。さようならエアリズム。元気でな。確かに飛んでいきそうな名前だね。
強風の恩恵として、久しぶりにパンチラに出くわしました。ラッキースケベでも訴えられたら負けかねない年齢になってしまったので、反射で目をそらせるようになったのは成長ですね。黒でした。鵜の目鷹の目。
目といえば。
高校時代の学年集会はだいたい寝ていたんですが、珍しく覚えている話があります。
それが「鳥の目虫の目魚の目」の話。うおのめじゃないです。
鳥のように俯瞰して、虫のように複眼でなんか、魚のようにどうこうする視点を持つようにすべきだって話です。覚えてねーじゃねーか。
鳥の目だけ覚えてました。覚えやすいですよね。その話を聞く前から、我ながら俯瞰する意識はそこそこ備わっていると思っています。
人にどう見られているか、どう思われているかを気にしすぎた末路だとは思うのですが、意識や視点を自分ではなく他人や監視カメラに預け、外から自分はどう見えているかを考えることがあります。もちろんいつもじゃないですけどね。
友達と会話しながら道を歩いていて、他人とすれ違うときに変な言葉発して「何の話してんだ」って思われようとすることありますよね。ありますよね?
さて、俯瞰して自分を客観的に見ようと努めているんですが、最近欠陥に気付きまして。
”俺を客観的に見ているのも俺”ってことです。
自分が見られている姿はわかるけれども、どう思われているのかは自分の価値観でしか判断ができません。
図書館で友人に勉強を教えている俺。俯瞰で見て”頭がよくて友人思いの人”だと思われてる、と思っているのは俺。
実はその図書館は勉強や私語が禁止で、外からは”ルールを守らない厄介者”だと思われているかもしれないわけです。
俯瞰で見たところで色眼鏡をかけていては意味がないってことですね。うまい。
”今俺はこういうことをしていて、外からはこういうことをしている姿の俺が観測されていて、その姿に対してこういう感想を抱いているだろう”の思考の流れに”俺はそう思っているが果たして本当にそうか、他人は全然違う感想をもってるんじゃないか”が加わりました。いつか俺なんにもできなくなっちゃいそう。多分もうちょっとで”俺が楽しければいいもん!”ってグレる日が来ると思います。
って、思ってるのも俺。ひえ~
今さらなんですけど、俯瞰って「客観的に見る」より「大局的に見る」のニュアンスじゃないですか?ええ?書き直し?
もう書き直さないよ、俺が楽しければいいもん。それでは。