近況の溜まり場

閲覧に関しては自由と自己責任で。

ムル ジュセヨ

なんというか、こう、僕はママさんバレーに幻想を抱きすぎていたようです。

 

どうも、新居です。韓国行ってきました。

福岡在住の家族と行ったので、今東京に住んでいる私は一人で韓国まで行って現地で家族と合流する、という流れでした。何なら家族は往復交通費とホテル代がセットになったツアーに申し込んでいたのでホテルも私一人でした。

 

私が抱く海外旅行のイメージなんですが、ロストバゲージやらひったくり、疫病、下痢、得体の知れない虫などあんまりいいイメージが先行しません。怯えながら手続きをし、渡航して無事家族と合流、そして帰国することができました。

結論としては、楽しかったです。内臓を酷使したり帰りの船にギリギリだったり、船が揺れてみんな吐いてたりでもちろんのこと全部が楽しい思い出というわけではないですが、いい旅行だったと言えますね。

 

というわけで韓国旅行の感想をつらつら書いていくんですが、いついつ何をしてどうだった、なんてのは他の方々のブログを読んでいただくとして、私はそれ以外の部分を書いていこうと思います。なんというか、韓国の日常の部分というか、常態化している部分について日本人からするとこういう感想を抱く、みたいなことですね。

 

まずは食文化でしょう。辛い料理で有名な韓国ですが、見た目と辛さが一致しません。青唐辛子が仕込まれている場合があります。何度か殺られました。人は喉元過ぎれば辛さを忘れるので、同じ過ちを繰り返します。逆に、真っ赤なくせしてあまり辛くないものもあります。私のような粘膜弱者は毒見から入り、どれをおかずにして米を食べ進めていくかを計算していく必要があるでしょう。

毒見といえば、韓国では食器が金属です。そりゃそうだろって思うかもですが、箸まで金属です。毒と化学反応するからとか丈夫で持ち運びに適しているとか理由はあるそうですが、金属とはいえ箸は箸。日本のものと使い勝手はさほど変わりません。言いたいことは一つです。食洗器から出たての箸がべらぼうに熱い。これだけ勘弁してほしい。

また、長く保存できるように、というのが辛い料理が発展してきた理由の一つらしいですが、同様ににんにくやネギを使った料理も多いです。殺菌作用がありますからね。ということで、下水の臭いがにんにく臭いです。ほんとに。けっこう顕著。私が行ったのは釜山なので、あの地域だけかもしれませんけどね。

あとはおばちゃんたちがめちゃめちゃ食わせようとしてきます。韓国は日本で言う小鉢がたくさんあり、お代わり自由なところが多いんですがそれらを食ってるのに「食え」って言ってきます。みんなが田舎のおばあちゃニズムを持ち合わせてます。スーパーのレジでも「これ一個買うともう一個同じのもらえるから、はやく取ってきなさい」って言われました。ありがとうおばちゃん。韓国語読めないから同じのがわかんなくて大変だったぞ。

余談ですが、韓国のおばちゃんの顔はパターン化できる気がしますね。間寛平、ハリセンボン近藤春奈、あき竹城(敬称略)を三原色としてその比率を変えることでだいたいのおばちゃんの顔を再現することができると思います。

そして、海外あるあるではあるんですが、運転が荒いですね。日本とはたぶん考え方が違ってて、日本、というか私は「空いたところに入る」ですが、韓国だと「空くところに入る」でやってると思いました。三車線あるとして、中央車線の車が右に行くと同時に左車線の車が中央に入ってくる、みたいな感じです。

 

なんか長くなってきましたね。見慣れない遊具がところどころにあるとか、甘いものがやたらと甘いとか他にもいろいろありますが、これ以上は君の眼で確かめてみてくれよな!です。とりあえずは、いい経験になりました。トコジラミに刺されることもなく無事普通に働いております。また来年度もよろしくお願いします。

次は日本のどっか温泉地行きたい。疲れている。それでは。

夢か現か

電車の中がそこそこ混んでいるとき、邪魔にならないようにリュックを前に抱えます。降りる駅に着き、リュックを前にしたまま階段を下りると足元が全然見えなくて。

爆乳の人って大変だなって思いました。

 

どうも、新居です。

今回は私の人格形成、ひいては私の人生に大きく影響を与えた中学時代の部活の顧問の話をします。今でも思い返すことも多く、いつかは書きたいって思ってました。満を持して書くにあたって、はじめにお伝えしますが、今日の私はちょっと口が悪いかもです。

 

顧問を短い言葉で表現するのは難しいのですが、整理整頓やルール厳守をはじめ、細かいことまで徹底していた堅物でした。各々のエナメルバッグを置く向きであるとか、脱いだ上着を畳むのはもちろんその向きも揃えることも徹底され、校則を含むありとあらゆる些細なルールを少しでも破れば即坊主&奉仕活動(に追い込む圧力をかける)というような人間でした。だんだんエスカレートしていき、何かしら生徒間同士での揉め事(よくある「先生に言いつけるぞ」レベルの小競り合い)や宿題を忘れるといったいかなる素行不良にも処罰されるようになり、我々は常に窮屈な思いをしながら学校生活を送っていました。

そこから、顧問の基準、さじ加減で罰が与えられるようになり、元々厳しめの校則の中で許されている髪型でさえも顧問が気に食わなければ色気づいているなどと適当な理由をつけて見せしめにされたり槍玉に挙げられたり。特に彼女がいる部員を目の敵にしていて、本人は独身でそりゃあモテないよなっていう性格もしてるので私怨で怒ってるな、というのは当時から気づいてはいたんですが、口ごたえなどしようものなら話が大きくなり周囲に迷惑をかけめんどくさく厄介なことになって時間も労力も浪費するだけなので、みんな何言われても早く嵐が過ぎ去るのを待って適当に相槌打ってやりすごしてました。

今ならパワハラで一発アウトなんですが、次第に暴力や暴言も増え(このへん詳しく書くとすごい量になるので割愛)、我々はもはや何をやっても怒られるので最大限怒られないように日々を過ごすのが常態化し、私が3年生に進級するタイミングで顧問が異動になるまで部活はもちろん学校生活も全然楽しめなかったです。周りの先生も事なかれ主義、かつ部員以外に対しては顧問は人当たりは悪くなかったっぽいので野放しにされていたようです。ほかの先生達からしても関与したらめんどくさい奴だとわかってたんですかね?定かではありませんが、、、こいつほっとくのもどうかと思うけど。

 

割と純粋な年頃でこんな顧問を相手していると、自分が悪い、ダメな人間だと思うようになり、自己肯定感をなくし、自信がなくなり、必要以上に繊細になり、多大なストレスで病気にもなり、、、と全くいいことがなくてですね。一時期は部活の日は玄関から外に出られなくなってました。今思えばだいぶ精神的にきてましたね。

 

こんな感じで私の人格形成に大きな影響を与えた人間がおります。時間をかけて、自分の語彙力を絞り出して色々なことを詳細に書いて鬱憤を晴らしたい気持ちはやまやまなのですが、正直思い返すのも嫌なんです。そいつに関してはもはや会うこともなく、情報が入ってくることもなくで忌まわしい記憶だけが私の中に残り続けたまま生きていくしかないのは覚悟しております。あいつになにか不幸なことが起きないかな、、、と常々思ってはいるのですが、起こったところで知る由もなく、本人に直接鬱憤を晴らすことはできないので心に刻まれた呪いのような負の感情を抱えながらこれからも生きるしかないんだろうな、と思ってます。

 

 

そう思ってました。

 

 

そいつ、最近児童買春で逮捕されましてね。

 

 

かつてないカタルシスを味わってます。

いやー、生きててよかったほんと。ずっと願っていた不幸がなんと現実のものになったのでまだ信じられなくて。夢じゃないかって思ってますが、何回グーグル検索しても相変わらず捕まってるので、ほくそ笑んでます。

 

自業自得、因果応報。結局そういう人間だった。中学時代だって、こちらが譲歩する必要なんてなかった。ようやく呪縛から解き放たれて、天に昇るような気持ちです。

 

未成年に手を出してはダメだぞ、という顧問からの最後の教えを胸に、また明日も私は塀の外で幸せに生きていきます。ば~か。

それでは。

名は体を表す

あけましておめでとうございます。

なんだか新年早々良くないことが続いていますが、私個人としても電子レンジと洗濯機が同時に壊れました。

仕事から帰って冷たい飯を食べゴシゴシ洗濯しなきゃいけないのは大変にメンタルにきますね。

特に洗濯、時間もかかれば体力も使います。コインランドリー行けばいいじゃん!って人は言いますが、私が住んでいる町はあんまり民度がよろしくないので、行きたくないんですよね。誰が何洗ってるかわかったもんじゃないので。

自力で洗うか、コインランドリーに行くか。まさに苦渋の洗濯ですね。

はい。

 

どうも、新居です。

仕事中に、ふと、「自分の体は猫だと思え」という神からの天啓を受けました。

どういうことかというと、自分の体を猫のように可愛がれ。こちらがどれだけ愛しても猫はそっけない態度をとるかもしれないが、体もそんなものだ。努力しても痩せたり筋肉がついたりしないかもしれない、それでも自分の体を愛し続けて努力をすればいつかはきまぐれな猫のように応えてくれる。そういうことらしいです。

花瓶を倒されようが、ソファーで爪を研がれてボロボロになろうが猫を可愛がり続ける方々を見習って、私も体を可愛がっていこうと思います。

 

まずは体に名前をつけるところからですね。

ペットの名前って見た目のイメージからつけられることが多いと思います。茶色の小型犬にチョコやらココアやら、てのは割とイメージしやすいかと思われます。それに対してロシアンブルーに「ごんぞう」なんて名前を付けるのはあんまりなさそうですよね。名前を決めるにあたって見た目からのイメージは重要な要素です。私の体ももう少しスレンダーだったら「ヴァニラ」とか「ジャスミン」とかにしたいところでしたが、残念ながらめちゃめちゃ日本人体形です。

日本人っぽい名前となると「大和」とか「武蔵」とかが思いついたんですけど、そんな戦艦みたいな名前をつけられるような体をしておりません。なんせ、けっこうななで肩です。「リュック落ち男」とかのほうがしっくりきます。さすがにあんまりだと思うので、別案を考えるに、なで肩を加味すると自分の体は流線形に近いといえるでしょう。あんまり凹凸もないし、空気抵抗を受けにくい形ですね。流線形といえばで私が思いついたのは新幹線。まあ、私の体が新幹線に似ているなんてことは全然ないのですが、新幹線の名前は日本人っぽい名前が多いのでここから拝借することにしました。

というわけで、検討の結果、今日からキミ(私の体)の名前は「こだま」です。あんまり速くないしね。

「こだまさん」「こーちゃん」「こーくん」「こだ」どんな呼び方をしていきましょうかね。早く打ち解けられるといいけど。

今後ともこだまさんとは私のバディとして、仲良くしていきたいですね。

今日は筋トレをしたので少し引き締まったように見えます。ナイスバディ。

いっぱい愛情を与えて、大きく育てていきましょう。よろしくね、こだまさん。

 

 

 

この設定を来月も覚えているかは、甚だ疑問です。それでは。

もういくつ寝ると

今年はなんだか晴れの日が多かった気がします。特別な日って意味のほうじゃなくて、天候的な意味で。高くなる農作物もあるのかなあと思いつつ、日本には豊富な水があることに感謝しつつ何とかなるだろうと思いつつ。

 

どうも、新居です。早いもんで、もう年末です。年越しそばをちゃんと食べておかないと年が越せず、年が明けた瞬間フリーズするなんて噂もありますのでね、動けるうちに食べておきましょうね。私はけんちん汁風で食べました。白菜が余計だった。

時間が大量にあって食材も大量に買ったので飽食の年末年始になりそうです。一人暮らしで自炊のくせに太る人間はむしろ珍しいのでは?

 

さてさて、年末にやることといえば掃除と年の振り返りですね。掃除は全然モチベーションが湧かなくて、いっそメイド服でも着たらやる気出るかと思ったんですけど、誰に言われたわけでもSNSにあげるでもないのに一人でメイド服着るのはさすがに食指が動かなくて。というのも、誰も見てないのにひとりでメイド服着るほうが変態パワーが高いと思うんです。人に見られたいから着るのはまだわかるけど、誰も見てないのに着てどうするの。何が原動力なの?メイド服を肌で感じるの?鏡を見て興奮するの?などなど疑問や懸念は止まりません。いずれにせよすごい変態だと思います。静の変態というか、一般的な変態をもうひとつ捻じ曲げた形というか。異なる2種の変態性のベン図の中心にいる気がします。自分から進んでメイド服を着てみよう!とはならなかったですね。

 

てなわけで、要望があれば着ます。掃除が終わらないのと、私は変態でなくはない、もとい、期待に応える男なので。

 

掃除の話は解決したので、この一年ざっと振り返ってみましょっかね。あくまでオフィシャル向けに。

実は無職の状態で今年が始まったのですが、なんやかんやで就職し、かなりストレスフリーでゆらゆら働いて社会人のリハビリとしては上出来な一年になりました。

生きていけてるな~って思ってたんですが友人たちが年末に結婚、入籍、etc…の知らせを突き付けてきまして。他人に影響されてどうこうするものではないことだとわかってはいますが少しばかり焦りますね。置いていかれている気分。

そういう雑多な問題は来年の私が全部なんとかしてくれると信じて、今年の私はそろそろ眠ろうと思います。頑張ったほうだと思うぞ、今年の俺。

 

一年の終わりにあんまり変なこと言って来年のスタートを鈍らせるわけにもいかないので、そろそろ終わりにします。よろしく、来年の俺。

それでは、良いお年を。

パーマかけました。痛かったです。

自分の職場には冷水器があって、良く言えばケチ、悪く言えばザコの私は冷水器から水を汲んで仕事中飲んでいます。我慢して水に甘んじているわけではなく全然コーヒーとかも飲むときは飲むのでケチだとかまた変なところで我慢比べしてるよとか思わないでほしいんですが、ともあれ毎朝水筒に水を汲むところから仕事がスタートします。で、私は水が出るペダルを踏んでから数秒水を流して水筒に注ぎ始める習慣がついてることに気づいたんですね。この習慣というか、「水を汲むときは数秒流してからのほうがよい」という考え方はどこ由来のものだろうと考えたわけですよ。

まぎれもなく検尿です。私は毎朝検尿から仕事がスタートしています。

 

どうも、新居です。無事に体調は回復しつつあります。

昨日職場の検尿、ではなく研修がありました。鼻くそほじってれば終わるだろうと思ってたんですが講義を受ける系ではなく討論して発表するとかいう頑張らないといけないやつだったので、頑張って鼻ほじりしてました。研修は大変有意義で、また週明けから大変になるかもなあなんて考えてたところに「この後飲む人は飲もう」っていう話になったもんで、なんだかんだで全員初対面の中で飲むことになりました。

獅子奮迅、一騎当千、八面六臂、面従腹背の活躍を見せる私でしたが感想、改善したいこととして話題の発信が苦手だな、というのは前々から思っていて。そもそも自分から話題を提供するタイプではないのと、話題を振るにしても軽いジャブみたいな話じゃなくてどうにも自分の陰の部分が垣間見えるような話題を振ってしまうんです。日頃思ってるからなんでしょうけど、取り出しやすい引き出しにダークな話題が多く詰まっています。日頃思っているからこうなっているので、日常から明るいことを考えるようにすればいいんですかね。道に咲いてる花を眺めてみたり、おひさまの光を浴びて鼻歌を歌ったりしてみましょうかね。また週明けから大変になるかもなあ。

 

話しやすい話題を振れる人ってモテるイメージがあります。逆説的に私がどうだっていう話はさておき、話題を振れる人にちょっと意識を向けてみたり、技術を盗んでみたりしてみたいと思います。いたっけなそんな人・・・?

 

友達も陰キャなのかとか、闇に隠れて生きてんのかとかは全然ご想像にお任せするところではあるんですけど、結構みんな彼女がいるにはいるんですよね。なんてこった。あと誰が妖怪人間だ。

早くもクリスマスイルミネーションが点灯したことですし、いっちょモテてみようと思います。明るい話題を振れる男になろう!

 

10年遅い?20年遅くなるよりマシやろがい!それでは。

健康寿命は16年

グーもチョキもパーも争いなんて望んでないと思うんです。

 

どうも、新居です。

実は私は難病患者でして、17歳の時に発症して入院しました。

原因がわからず治療法も確立されてないという理由で難病指定されてまして、今のところ一生付き合っていかなきゃいけない病気となっています。

薬が効いて体調管理がうまくいってるときは普通の暮らしができるんですけど、そうじゃないときはちょっと大変で、なにをするにも憂鬱になったり無頓着になったりしがちですね。

今更なんでこんな話をしだしたかというと、俺もう少し褒められてよくない?って思ったからです。

ちょっと今体調が悪くなっちゃってて弱気になっていまして、それでも頑張って生活しているんだからねぎらってくれ不公平だと思う僕が顔を出す頻度が増えてきています。

普段は周りに心配かけないように平気な顔してふるまっているけど、それじゃあ誰も気づくわけないんです。てなわけでここで吐き出して同情を誘おうってわけです。

 

いやーしんどいっすね本当に。ポケモンで言うならどくの状態異常に近いっす。健康だったらあんなことこんなこと思いっきりできたのになぁ、ってしょっちゅう思ってます。これまでも病気によって失われたものは多くあったし、これからも多くのものを僕から奪っていくんでしょう。やりきれません。頑張りたいのに頑張れない、挑戦する土俵にも上がれない悔しさ。情けないし、悲しくなります。あんまり病気にとらわれて生きるものじゃないのはわかってますけど、どうしたって頭の中に病気のことが残り続けてずっと不安でい続けるのはやっぱりしんどいです。

 

 

さて、書いてて思ったんすけど、この文の目的からしてダサいっすね。人にねぎらいなんて求めるもんじゃないし、自分ができない、やらない言い訳を書き連ねていっているようで恥の上塗りというか。健康だったら本当にやれてんのかっていうのは疑問です。

やらない理由を病気のせいにして、自分の自尊心を保っている節がありますね。病気さえなければ俺はできる人間なんだ、病気がすべて悪いんだってことにして自分の力不足から目をそらしているだけですよねこいつ。まずいまずい、これくらいにしとかないと、僕は自分を殴るときは手加減しないから、すごく痛い。

 

でも、いったん戒めとして今回の文章は残しときます。書かないなら書かないでなんで書かなかったんだねぎらってもらえよって思う僕が顔を出すことでしょう。健康になったら消すかもね。

 

みなさんも、健康第一ですよ。

失ってからでは遅いんですから、と失った人間が言ってます。それでは。

いやいや今回は別に面白いことを言っているつもりなんて

~初期の王騎将軍みたいな新一「蘭ンンンンン」~

 

盆の季節は住宅街を練り歩いて線香の匂いを嗜んでました。

どうも、新居です。

転売対策に引っかかってSwitchが買えませんでした。

気合いを入れなおしてビックカメラ本店に赴き、2度目の正直で購入。4万の買い物は震えますね。武者震いだと信じたいです。

そういえば、Switchの2の情報がリークされてるみたいです。マジでなんで今?

 

さて、念願のSwitchで何をやっているかというと、ピクミンです。かつてピクミンの2をやったことがありまして、小学生の青春を彩った思い出のゲームの一つだったんでぜひやってみたかったんですね。今からピクミンの話をちょっとするんですが、ネタバレしないのでごゆるりと。ちなみに今回のテーマは「今と先」です。

 

ピクミンというゲームは不思議な生物ピクミンに指示を出して戦ったりお宝を回収したりピクミンを増やしたりするのが大筋で、その中で命の重さや尊さ、自然界の弱肉強食っぷりや集団の恐ろしさに思いをはせる人もいるっちゃいるゲームなのですが、作中でもダンドリという言葉で表現されているようにマルチタスクの能力が求められます。あっちで穴掘って壁を壊しているうちにあれを運んで、あそこを凍らせているあいつらを呼んであいつと戦わせて、みたいなことを考える力がある程度鍛えられるんですね。実際仕事中でもあれよりあれを先にしないといけないからあれを頼んでる間にあれを仕上げとく、みたいに先々のことを考える癖がつきましたし、ものを運んでいる先輩に「ピクミンみたいですね」って言ったら嫌な顔をされるなどしてピクミンは僕に粗方いい影響をもたらしてくれました。一応クリアしたんですけどDLCで新しいステージ出たりしないかなって思ってます。今回のラスボスは怖かったけど楽しかったですね。60匹くらいのピクミンは必要な犠牲でした。南無南無。

 

そんな感じで先のことを考える癖がついた僕。

なんだか最近バスケが盛り上がってるってことで、なんだかんだ見てなかったスラムダンクの映画を観に行ったんですね。上映が終了したから言いますけどめちゃめちゃ面白かったです。手に汗と半券を握りっぱなしでした。やっぱり三井がかっこよすぎるのと河田兄の声がなんか高いのはすごいしっくりきました。意外と声高いんだよああいう顔は。2時間があっという間でしたね。

めちゃめちゃ楽しんで2時間があっという間だったからこそ気づいたんですけど、先のこと考えてたら今に没頭できないんですね。今を最大限楽しめないんです。

映画を見ている間は先のことなんて一切考えてませんでした。今に集中できていたからこそあれだけ楽しかったのだと思っています。

先のことを考えるか今に没頭するか、そのあたりの使い分けなんかはいずれ能動的にできるようになりたいですし、最適なバランスも見つけていきたいです。

どうやってやるのか?わかりませんねえ。

ま、先のことは考えず今に没頭しましょうよ。

今に没頭しているからこそこんなに面白くブログが書けているわけです。こんなふうに没頭を先延ばしの言い訳にしないようにしないといけないですね。今のことを考えて先を考えるのを先延ばしにして、、、ややこしくなってきました。今日はもう寝ましょう。

 

余談ですが、今になって気づいたんですけど山王工業って全員坊主なんですね。

甲子園球児ですら髪を生やしてるので、時代の変化とは恐ろしいものです。

よく見たら沢北だけ横刈り上げてるあたりチーム内のいろいろが空想できていいですね。それでは。